映画『リスケ』を作らなきゃいけなかった理由/鈴江誉志
映画『リスケ』を観てくださったみなさん、本当にありがとうございます。
はじめまして、監督の鈴江誉志(すずえ たかゆき)と申します。
直接のご挨拶ができないので、本作を作るにあたった経緯や想いなどを拙いながら書いていこうと思います。
当時の記憶から辿らせてください。
〇起点はラベリングへの怒り
この作品は2021年に制作しました。
当時は「LGBTQ+」という言葉がだいぶ浸透してきて、セクシャリティーや権利について様々な議論が展開されていました。
言葉が浸透した分、認知も進んだのですが、
「差別じゃないけど」とたくさんの反発を生んだり、「そもそもそういうこと自体どうでもいいし面倒」と、
当時バックラッシュが起こっていたのを覚えています。
(今でいう外国人差別に似た空気感と言えば伝わりやすいかなと思います)
「BLドラマ」が量産されるようになって、「ゲイのキャラ」がたくさん登場したり、
メディアでもラベルをつける動きが増えたように感じていました。
どうしてセクシャルマイノリティーだけいちいち別の枠組みに入れられなきゃいけないんだろう?
「異性愛映画」や「異性愛者のキャラ」なんて言わないのに、
なんでそれ以外はレッテルを貼られなきゃいけないのか。
ラベルを貼って可視化するから偏見が生まれるんじゃないのか、
同じ人間なのに、人じゃないみたいな扱いをされることに怒りを感じていました。
現実に生きている人だと思ってないからそんなことが起きるんじゃないか?
だったら作り手がラベリングをしない映画を作る必要があるんじゃないか?
そうでないと日常生活でほとんど可視化されないマイノリティーを人間だと思ってもらえないんじゃないか?
そんな想いが起点にありました。
もちろんこの映画はクィア映画ですが、
ユウスケはユウスケとして観てほしいし、アズサはアズサとして観てほしい。
「LGBTQ+」を理解できないなら、ユウスケとして、アズサとして考えてほしい。
ちゃんと人間だと思ってほしいから、
これを「同性愛のストーリー」と謳って他人事のように受け止めてほしくなかったですし、
「マイノリティーのキャラ」として、人格すら塗りつぶすやり方は絶対にしたくありませんでした。
この映画に描かれているような経験は僕の中にはありませんが、
僕自身、彼らの痛みをよく知っているので、
切実に、本当に死んでもいいと思いながら命を懸けて作りました。
〇YouTube公開の経緯
絶対にこの映画を必要な人がいる。絶対にそれだけは諦めない。
そう思って昨年色々動き回っていました。
劇場や配給会社さんを訪ねて作品を配って回っていたのですが、誰にも作品を観てもらうことができませんでした。
YouTubeでの公開はまったく賛成されてきませんでした。
映画の価値を下げかねないし、リスクしかないからです。
今回の公開も2度断られています。
でもそんなことより差別が一つでも減ってほしい。
そのために観てもらう人を絞る必要性もないし、お金を貰う必要性もない。
作品への想いを伝えて、慎重に話し合いを重ねて、様々な協力のおかげで今回公開するに至りました。
改めて感謝を伝えたいです。
〇ユウスケの涙について
作品の感想はみなさんの中で大切に閉まってほしいので、
僕からはあまり語らないようにしたいのですが、ユウスケの涙についてはお話させてください。
『リスケ』の脚本にはユウスケが涙を流すというト書きは書いていません。
現場でも一切演出していませんし、現場でユウスケが涙を流すとも全く思っていませんでした。
ユウスケの心の内はユウスケにしか分からないですが、
それを踏まえて思い出してもらえると、彼の生きている世界が見えてくるかもしれません。
アズサの鼻水もまた同じくです。
抱きしめるシーンは、やるかやらないか最後までアズサと悩んだシーンでした。
アズサの正直な気持ちで動いてくれれば、脚本は無視して大丈夫とずっと伝えていました。
現場でも一切リハしていません。
最終的にアズサの想いがユウスケに触れてくれたことで、あのシーンに出会うことができました。
人生で二度と出会えない一生忘れない7分間です。
〇「ユウスケに幸せになってほしい」という感想
今まで上映をさせていただく中でこの感想をいただくことが多かったのですが、正直すごく驚いています。
ユウスケの過去がきちんと清算されてほしいという想いで作っていましたが、
ユウスケの未来にまで言及していただけると思っていなかったからです。
もしそう思っていただける方がいるのなら、
これは監督としてではなく、僕個人からのささやかなお願いになりますが、
どうかユウスケが幸せに生きていけるために、力を貸してほしいです。
もしユウスケがこの先大切にしたい人と出会えたとして、もしそれが同性の人だったら、
ユウスケがその人と幸せに生きていくのは今の社会ではとても難しいことです。
好きになることに性別は関係ないと思います。
でも一緒に生きるのには性別は関係ある、それが今の日本社会です。
アズサが酷いという意見もよく見かけますが、
もし彼ら二人で生きる「選択肢」があったら、違う未来だったかもしれないですね。
彼ら二人に涙が浮かぶこともなかったかもしれません。
じゃあ何が出来るのか?
僕は今のところ性別を限定する言葉を使わないようにしたりとか、
差別的なノリに笑わないことで精一杯ですが……
優しさには底知れぬ力が溢れています。
上手じゃなくても、正しくなくても、たとえ間違ってしまったとしても、
その人の持つ優しさが、言葉や態度で触れたなら、その人の命を繋ぐ力に十分なります。
それが難しくても、冷たくしないってだけで十分すぎるくらいです。
差別の先には必ず死があります。
誰かが死ぬことは僕はもう経験したくないですし、みなさんにもこの先絶対に経験をしてほしくないです。
もう誰も死にたくなったり、命を奪われたりしないように、
この作品が大切に広がっていくことを願っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
映画『リスケ』監督
鈴江誉志
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